[全北] 銀波湖公園(銀波国民観光地)(은파호수공원(은파국민관광지))
全羅北道群山市にある「銀波湖公園(ウンパホスゴンウォン)」は、本来農業用貯水池でしたが、貯水池を中心に付近の小さな山々を含め、1985年に国民観光地に指定されました。夕暮れ時のきらきらした波がとても美しいため「銀波」と呼ばれているここは、朝鮮時代以前につくられていたことが地理学者・金正浩先生の大東輿地図にも表示されてい…
全羅北道群山市にある「銀波湖公園(ウンパホスゴンウォン)」は、本来農業用貯水池でしたが、貯水池を中心に付近の小さな山々を含め、1985年に国民観光地に指定されました。夕暮れ時のきらきらした波がとても美しいため「銀波」と呼ばれているここは、朝鮮時代以前につくられていたことが地理学者・金正浩先生の大東輿地図にも表示されてい…
「井邑詞(チョンウプサ)文化公園」は全羅北道井邑市市其洞にある公園です。井邑詞は5つの百済歌謡中で唯一現存する最高の百済歌謡で、ハングルで記録され伝えられました。現在まで伝わる歌謡中、最も古いものとなっています。公園には、井邑詞の歌詞に登場する帰らぬ夫を待ちながら石になってしまった百済女性の「望夫石」がある他、井邑詞碑…
直沼瀑布(チクソポッポ)は辺山半島国立公園にある滝です。来蘇寺(ネソサ)から4キロメートルほど登山道を登って行くと、高さ30メートルほどの直沼瀑布が大きな水音を立てて落ちています。この滝は辺山半島国立公園で最も美しい景色のひとつに数えられ多くの人が訪れます。
茂朱郡赤裳面にある赤裳山(1,034メートル)は、四方が層岩絶壁で囲まれています。この山の上の安国寺があった場所に茂朱揚水発電所所の上部貯水池である赤裳湖が建設されましたが、この湖の周りに長さ8,143メートルの赤裳山城があります。高麗時代、契丹族の侵略があった際に近隣の数十の村から逃げてきた人たちが難を逃れた他、高麗…
群山(クンサン)は、近代の歴史で収奪の痛みに耐え、これに果敢に立ち向かった情熱あふれる街。 そんな歴史をもつ群山には日帝強占期(1910~1945年)の近代文化を感じられる文化財が旧市街地を中心に残されています。群山の旧市街地は、朝鮮時代後期から日帝強占期の群山へタイムスリップをするかのような雰囲気に満ちた街で、「群山…
ノミ(flea)のような形の「蝟島(ウィド)」は扶安から西に約13キロメートル離れた西海に位置しています。蝟島の筏金里の堆積岩では、湖に流入する多量の火山砕屑物によって湖底付近に形成されたさまざまな堆積構造を観察することができます。ここでは低層流によって形成された内部侵食面、逆級化層理、塊状構造、層状構造などを観察する…
「望海寺(マンヘサ)」は、進鳳山の峠を越えて削られたようにそびえ立つ奇岩怪石の断崖の上で、果てしなく広がる海を見下ろせるために「望海寺」と名づけられました。ここは642年(百済時代)に浮雪居士(三国時代に金堤で活動していた僧侶)が創建し修道したのが始まりですが、そのうちに境内が崩れ海に沈んでしまいました。しかし1589…
「威鳳寺(ウィボンサ)」は、604年に瑞巖大師が創建したと伝えられています。しかし、極楽殿重修記に出ている説話によると、新羅末期に崔龍角が馬に乗り全国の山川を見て回っていた際、鳳山の南側に至り蔓をつかみながら山の頂上まで上がると、とある森から光が差しているのが見え、その光を辿って行ってみるとそこには3羽の鳳凰が飛び交っ…
論介生家は、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に殉死した論介を称え作られました。壬辰倭乱の時に倭軍が晋州城を占領すると、論介の夫である崔慶会将軍は川に身を投げ殉死し、論介は夫の仇を討つために妓生と偽り倭軍の宴会の席に参加し、酔った倭軍の将軍を抱きながら川に身を投げて殉死しました。論介生家は、2棟の建物からなる「一字型」の草…
韓国百景のひとつに数えられる赤裳山(チョクサンサン)は、四方が屏風のような岩に囲まれ、また、その絶壁には紅葉の木が多く、秋になるとまるで山全体が赤いスカートを履いているような風景となることから赤裳山と呼ばれるようになりました。…