[全北] 寒碧堂(한벽당)
全羅北道の有形文化遺産に指定されている「寒碧堂(ハンビョクタン)」は、1404年に朝鮮開国の功臣・崔湛(チェダム)の別荘として建てられた楼閣です。 僧岩山の山麓の断崖にあるため絶景で、特に目の前を流れる全州川とは絶妙のバランスをなしています。かつて多くの文人がここを訪れインスピレーションを得たことから、寒碧晴煙(寒碧堂…
全羅北道の有形文化遺産に指定されている「寒碧堂(ハンビョクタン)」は、1404年に朝鮮開国の功臣・崔湛(チェダム)の別荘として建てられた楼閣です。 僧岩山の山麓の断崖にあるため絶景で、特に目の前を流れる全州川とは絶妙のバランスをなしています。かつて多くの文人がここを訪れインスピレーションを得たことから、寒碧晴煙(寒碧堂…
全州(チョンジュ)豊沛之館(プンペジグァン)は、朝鮮時代に全州を訪れた中央の役人や使者をもてなし、泊まらせるための宿泊施設です。現在は誰でも入ることができるように公開されています。長く広い板の間を自由に利用することができるので、市民や観光客にとって憩いの場となっています。全州市内にあるのでアクセスしやすく、全州韓屋村か…
豊南門(ナンプンムン)は旧全州邑城の南側門で、丁酉再乱の際に破壊されたものを1734年に城郭と城門を建て直し明見楼と呼んでいたものです。「豊南門」という名称は1767年に火災に遭い、観察使ホン・ナギンが1768年に再建し名づけました。純宗の時代、都市計画により城郭と城門が撤去され、豊南門も多くの損傷を受けました。その後…
来蘇寺(ネソサ)モミ林の道は、来蘇寺の一柱門から四天王門まで続く500メートルほどの林道です。壬辰倭乱の際被害を受けた寺を復旧し、寺の入口に活気を与えるために設けられ、今に至ります。約700本のモミの木が天高くそびえる散策路は「韓国の美しい道100選」や、第7回美しい森全国大会で「一緒に分かち合いたい森の道」に選定され…
帰信寺は676年に義相大師(新羅時代の僧侶)によって創建された寺で、当時は国信寺と呼ばれましたが、新羅時代末に現在の名前になりました。1592年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の影響で火事となり廃墟と化しましたが、1873年に再建されています。現在残っている建物は、宝物として指定されている大寂光殿を始めとして、冥府殿、山神…
「松広寺(ソングァンサ)」は全羅北道完州郡所陽面にある千年古寺です。大韓仏教曹渓宗松広寺は新羅景文王7年(867年)に九山禅門の開山祖である普照体澄禅寺が開創しました。元来の寺名は白蓮寺で、現在の一柱門が3キロメートル離れたところにありましたが、歴史の変遷により廃寺となったものを順天松広寺の普照国師知訥僧が復元後、現在…
標高572メートルの高山(コサン)は、平野にそびえ立ち、山頂から眺める景色が美しい山です。鬱蒼とした松林と奇岩怪石が、登山者の目を楽しませてくれます。高山には先史時代の遺跡である支石墓が数百基ほど残っており、後三国時代に築かれた高山山城があるなど、名所がたくさんあります。
パンソリの集大成、国文学史に関して優れた功績を残した桐里申在孝(1812~1884)の古宅です。パンソリ博物館のすぐ後ろにあり、裏庭は桐里国楽団(桐里は申在孝の号)と牟陽城(倭寇の侵入に備え、1453年に建てられた自然石の城郭。別名高敞邑城)に当たります。重要民俗資料に指定されている申在孝の古宅は1850年頃に建てられ…
「銀水寺(ウンスサ)」は朝鮮時代初期には上院寺と呼ばれ、朝鮮19代目王・粛宗の時に上院寺は無くなり寺址だけが残っていましたが、その後誰かが庵を建て正明庵と名づけました。正明庵が荒廃し無くなった後の1920年に再建され、この時に銀水寺と命名されました。銀水寺の名前の由来は、朝鮮太祖がここを流れる水を飲んだ際に、水がまるで…
湖南の小金剛と呼ばれる大屯山は頂上である摩天台(879.1メートル)から四方に山脈が続いています。摩天台から北側の稜線に沿って落照台に行く区間は特に景色が美しく、落照台で見る日の出と日の入りは絶景です。1977年に道立公園に指定され、ケーブルカー、錦江クヌル橋などが設置されました。